| 日本ニュース 第135号 | ||
| 1943年(昭和18年)1月6日 | ||
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| [1] | 日泰攻守同盟一周年祝賀会 | 02:49 | |
|---|---|---|---|
| [2] | 陥落一周年の香港<共栄圏便り> | 01:00 | |
| [3] | 南ルソンの鉄道復旧<共栄圏便り> | 01:04 | |
| [4] | 日本製雑貨、機械の見本市<共栄圏便り> | 00:41 | |
| [5] | OO基地民族舞踊で日本兵を慰問 | 00:49 | |
| [6] | 南方海鷲基地 | 01:36 | |
| [7] | 大空の護り前線高射砲陣地 | 02:08 |
昭和17年12月21日、日泰攻守同盟成ってよりここに1年。この日を迎えて泰国では国を挙げての盛大な祝典を行い、首都バンコックの王室寺院ワット・プラケオにおいて、ピブン首相、坪上大使、その他日泰の高官多数列席のもと、皇軍の赫々(かくかく)たる戦果を祝うとともに、ますます両国提携の誓いを新たにしたのであります。
引き続き、泰国外務省において、先に締結された日泰文化協定の批准書が坪上大使とヴィジット外相との間にとり交わされました。
軍事に経済に、また文化に、着々その共同の実をあげている両国の関係はますます強固となり、新東亜建設の基礎はしっかりと築かれていきます。
終わって、一堂は食卓をともにし、うちくつろいで歓談のひとときを過ごし、盛大な祝賀の式を閉じました。
この重なるよろこびにバンコック全市は沸きかえり、戸々に両国国旗を掲げた町を堂々行進する我が軍楽隊にバンコック市民は歓呼をもって応えたのであります。
香港陥落して丸一年。温かい軍政のもとに、硝煙の跡も今は昔。市街は旧に倍して賑わっています。
東昭和通一丁目。古いイギリスの殻は既に脱ぎ捨てて、町々は明るく住民達は楽しく、支那大陸南の門戸、香港は共栄圏物資交流の要地として新しい建設の希望に輝き、力強く発展していきます。
皇軍破竹の進撃の前には、橋という橋は無惨にも落とされていました。アメリカ軍の抵抗は、徹底的な破壊戦術であったのであります。だが住民の幸福のためにも、新しい比島建設のためにも、まず鉄道を復興させなければなりません。大東亜戦争の真意を悟って協力した比島人4万の力もさることながら、皇軍指導者の熱意は立派に実を結んで、南ルソンの鉄道は12月23日、立派に開通しました。マニラを出発した処女列車は共栄圏建設のたくましさを示して、驀進(ばくしん)して行きます。
仏印はカンボジアの首都プノンペン。王宮の中に日本の雑貨、機械類の見本市が開かれています。安くてしかも良質の日本品は、今まで絶えず米英の不当な経済圧迫を被っていたのでありますが、大東亜戦争のありがたさはここにも見られて、すぐれた日本商品が今や、どしどし共栄圏各地の人々に供給されていきます。
ここは灼熱(しゃくねつ)の南の島。○○基地の住民たちは踊ることが生活のすべてであると言われています。彼等(ら)は日頃お世話になる皇軍勇士の慰問にと、満艦飾でやって来ました。せわしい任務の合間に兵隊さんたちは暑さも忘れて、珍しい踊りを満喫しました。
果てしなき南の大空を赤々と染めた夕日もいつか薄れて、夜の帳(とばり)ここ第一線基地にたれ込める頃。
鵬翼(ほうよく)連ね、密かに行動の時をうかがう海鷲数十機。戦いようやくたけなわならんとする、戦勝第二の新春。遥か故国の山河をあとに、昼も夜も、新しき年の始めも休みなし。今日もまた、折からの月明(げつめい)を利して、我が海の荒鷲は敵地爆撃の壮途にのぼる。
真上からじりじりと照りつける熱帯の太陽もなんのその、厳然大空をにらんで立つ監視長。前線高射砲陣地には連日猛烈な訓練が続く。
「今日も敵機はおいでがないのか」と無聊(ぶりょう)をかこつ勇士たちも激しい勤務の余暇には、畑の手入れに童心に立ち返る兵隊さんだ。
「非常呼集だ」「敵機だ」パッと一斉に兵舎を飛び出す勇士たち。敵機よ、来(きた)たらば来(きた)れ。我に鉄壁の備えあり。前線の大空は我々の手で守ろう。米英撃滅のその日まで、敵機監視の忍苦の戦いは続けられていく。



