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タイトル 日本ニュース 第18号
公開日 1940年(昭和15年)10月8日 日本ニュースについて

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チャプター

[1] チャプター1 皇軍精鋭堂々と仏印へ進駐  03:55
[2] チャプター2 築け大空の護り全国防空大演習  02:26
[3] チャプター3 海の荒鷲を目指し大空に錬る学生群  01:18
[4] チャプター4 時の人は語るスターマー独特派公使、大島前駐独大使  03:01

再生テキスト

支那事変完遂に必要な処置として、交渉が続けられた日仏印軍事協定は、9月22日、両国間に意見の一致を見(み)、かくて翌23日、広西省の僻地(へきち)に駐屯をして、援蒋ルート遮断に寧日無かりし我が部隊の精鋭は、この協定に基づき、仏印北部国境、鎮南関を越え、平和的進駐を開始しました。竜州、ドンダン、ランソンを結ぶ線は最も有力な援蒋ルートのひとつでありましたが、今ここに堂々と日章旗をかざす将兵の感激は、はたしていかばかりでありましょうか。
国境を越え、仏印領内に進駐するや、仏印政府の命令のいまだ徹底せざる一部仏印軍は、突如山間に築かれた堅固なトーチカ陣地によって抵抗し、ここに自衛上、武力行使のやむなきに至った我が軍は、これを排除して南進。午後2時ごろ、ドンダン付近にさしかかるや、仏印軍の挑戦はいよいよ激しく、ここにおいて我が軍はこれに応戦。またたく間に付近一帯の陣地を占拠。仏印軍の降伏を入れて堂々ドンダンに進駐しました。

(進駐する様子)

かくて我が軍は降伏せる仏印軍の武装を解除して、一時的に突発した紛争の不拡大に最大の努力を払いつつ、ドンダンを進発してランソンに向け、さらに進駐を続けました。
我が平和的進駐を喜ぶ住民は、行く道々に歓迎の意を表し、9月26日、早くもランソン進駐を終わり、かくてランソン市内に中村部隊感激の閲兵式が行われ、日章旗は燦(さん)として仏印の空に翻りました。

(海軍の様子)

一方、海軍部隊は、この日あるを期して、南シナ海に堂々の陣を張って猛訓練を続けていましたが、命令一下、基地を抜錨(ばつびょう)、航空部隊に守られつつ、舳艫(じくろ)相銜(ふく)んでハイフォンに急行しました。
かくて我が艨艟(もうどう)が、豪胆にもハイフォン沖、ロンソン要塞前面の海上に投錨するや、25日、ハイフォン要塞司令官は随員とともに我が方を訪問。仏印監視団委員長西原少将を交えて懇談し、会議は円満のうちに続けられました。

全世界を包む戦時体制下にかしこくも東久邇宮殿下を御統監に奉戴(ほうたい)して、10月1日から挙行された防空総合訓練は、全国民ひとり残らず参加のもとに、日一日と熾烈(しれつ)さを加え、帝都の中心に敵機の空襲を受けた市民は、官民一致協力のもとにあらゆる機能を総動員。沈着冷静、各々(おのおの)その職場を死守。被害を最小限度に止むべく、懸命の訓練を続けました。

(訓練の様子)

訓練4日目、東久邇統監宮殿下には、幕僚を従えさせられて東京駅にならせられ、みごとな訓練ぶりを御視察あそばされました。
地上砲火の反撃をくぐって横浜に来襲した敵機は、横浜港に巨弾の雨を降らせ、そのうち1弾は係留中の霧島丸に命中。税関内に待機した特設防護隊は、時を移さず急行して、帝都の玄関、横浜港死守の活躍を続けました。
一方、爆撃数十機の襲撃を受けた大阪市は、無数の焼夷弾、毒ガス弾を投下され、全市は炎の海と化す想定。消防部隊は警報団、家庭防空組合と協力して必死の鎮火作業を開始しましたが、矢継ぎ早(やつぎばや)の空襲に火勢は淀川べりに猛威をふるい、イオウ師団長殿下、御観戦のもとに逃げ遅れた市民200名はあわや絶望とみられましたが、陸軍部隊の奇襲鉄舟(てっしゅう)、10数隻が漕ぎつけ、整然たる統制下に渡河避難訓練を決行。かくて5日間にわたり、全国一斉に行われた防空総合訓練は幾多貴重な教訓を残して10月5日正午、演習を終了いたしました。

大津市街、四裔(しえい)の翠巒(すいらん)を背景に、琵琶湖の水に臨む近代式格納庫。ここは海軍予備航空団大津支部であります。大空に憧れる若き学生たちは今都塵(とじん)を離れ、学業の余暇をここに合宿して現役将校指導のもとに、ひたすら航空の腕を磨いています。
静かな水面に真っ白な飛沫(ひまつ)を上げてふわりと浮かんだ白銀の機体。山紫水明の湖路を高く、澄み切った秋空を行く彼ら学生は、ここで厳格な訓練を受けること約3年。さらに霞ヶ浦航空隊に入隊した後、予備士官として我が空の守りの重責に就くことになっています。

日独伊三国同盟の締結にヒトラー総統の密使として来朝。この世界史上を飾る条約締結に重大なる役割を演じたスターマー特派公使の労をねぎらい、使命の完了を祝福するため、末次大将、松井大将、安達謙蔵氏、望月圭介氏、久原房之助氏、大島中将、中野正剛氏らが、オットー・ドイツ大使も交えて6日の日曜日、麹町の星ヶ岡茶寮に和やかな会合を開きました。
さて、茶寮の庭のひと隅、スターマー公使と大島前駐独大使の話をマイクを通してお聞かせいたしましょう。

(茶寮での会話)
《大島前駐独大使》
「やー スターマーさん!」
<スターマー公使>
「ア閣下ですか 如何です?」
《大島前駐独大使》
「今度はお国へ大きなお土産を持って帰れますね」
<スターマー公使>
「条約締結と云ふお土産があるので嬉しく思ってゐます」
《大島前駐独大使》
「ベルリンにお帰りになりましたら、独乙の勝利を常に確心してゐるとヒットラー總統にお伝え下さい」
<スターマー公使>
「確にお伝えしませう 貴方の気持ちを聞けば總統は非常に悦ぶでしやう」
《大島前駐独大使》
「リツベントロップ外相にも今度の締結を特に悦んでゐるとお伝え下さい」
<スターマー公使>
「承知しました 今まで貴方が色々と御努力下さった事を外相も悦ぶでしやう」
《大島前駐独大使》
「ゲーリング元帥には、独乙空軍の戦績は実に素晴らしいと驚嘆してゐる旨、御伝へ下さい」
<スターマー公使>
「御承知のやうに私自身飛行士ですから閣下のお言葉は悦んでお伝へします」
《大島前駐独大使》
「では庭をもうすこし歩いて見ませう」
<スターマー公使>
「結構ですね」

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