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タイトル 日本ニュース 第3号
公開日 1940年(昭和15年)6月25日 日本ニュースについて

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チャプター

[1] チャプター1 満洲帝国皇帝陛下御訪日の御途へ  01:33
[2] チャプター2 天津問題解決租界隔絶解除  01:05
[3] チャプター3 沙市攻略入城  02:07
[4] チャプター4 ドイツ鋼鉄軍怒濤の大進撃  02:24
[5] チャプター5 砲煙弾雨下に英仏軍死の脱出  01:59
[6] チャプター6 特報 満洲国皇帝陛下輝く御入京  03:45

再生テキスト

我が紀元2600年御慶祝のため、日本御訪問の御途(おんと)に就かせられる満洲国皇帝陛下には、蘭花香る6月22日朝、宮廷を御発、御順路、新京駅へと向かわせられました。
駅頭には、日満軍官民多数、粛然と御見送り申し上げるうちを、皇帝陛下には陸軍御軍装も凛々(りり)しく、御召列車後部、展望車に御乗車。軍楽隊の満洲国歌吹奏裡に奉送の所員に対ししばしお別れの挙手の礼を賜いつつ、一路、大連へと向かわせられました。

全世界の視聴を集めて天津英仏租界隔絶が断行されてより370余日、6月20日を期して旭街(あさひがい)検問所に隔絶解除式が厳粛に行われ、続いて路上に横たわるバリケードは一斉に取り払われました。このとき、数千の民衆の間には、歓呼のどよめきが沸き上がり、天津防衛指令官以下の皇軍将士に心からの感謝を捧(ささ)げ、フランス租界から日本租界へ、日本租界からフランス租界へと、ひしめきあって殺到。更生(こうせい)天津の明朗風景を見せました。思えば頑迷を極めた英仏に隔絶の鉄槌を降(くだ)し、ついに皇軍の威武(いぶ)に屈せしめ、東亜の新情勢に順応せしめた断固たる態度こそ、新秩序建設の重大推進力として永久(とこしえ)に記録されるものでありましょう。

宜昌防衛の第一陣、沙市を目指す地上部隊の延々たる大行進を脚下に、我が陸の荒鷲は頑敵(がんてき)を求めて快翔(かいしょう)。俄然(がぜん)、敵の有力部隊を発見するや、これに猛烈なる機銃掃射を浴びせました。
好機至る、一斉に砲門を開いた各部隊は、前面無数のトーチカ陣地めがけて天地も砕けよと猛撃を敢行。堅塁による50万の頑敵も我が猛攻に耐えかねて浮き足立てば、藤崎、蒲浦、坪島、高木の諸部隊は突撃に次ぐ突撃を強行。炎熱、実に120度(華氏)。夏草も焼ける暑熱もものかは、雪崩のごとく、城西平原をひた押しに押し進みました。
堅塁沙市、光炎に揺らぐ。時を移さず皇軍の精鋭は、三方より城門に殺到しました。時に6月8日、午後4時25分。城内の残敵は右往左往に逃げ惑い、ことごとく我が軍の手に捕らえられました。
この神速果敢(じんそくかかん)の我が攻撃に狼狽(ろうばい)した敵は、至る所に火を放ち、市中は炎の海と化しましたが、皇軍の将兵は黒煙を潜って残敵を掃討、輝く戦果を収めました。
かくて威風あたりを払う皇軍堂々の入城式は行われ、ここに宜昌防衛の第一陣、沙市は完全に我が手中に帰しました。

叫ぶ巨砲、炸裂(さくれつ)する砲弾、飛行機の轟音(ごうおん)、戦車の咆哮(ほうこう)。西部要塞戦に繰り広げられた凄絶(せいぜつ)悲壮の大攻防戦。これこそフランスが命と頼み、主力防戦にあたるマジノの堅陣。ドイツ鋼鉄部隊は隠忍24年、雪辱復讐はこのひとときにありと、猛然としてこれに襲いかかりました。
かくてセダンついに陥り、ヴェルダンまた壊滅して、フランスは全線に渡って敗退。ドイツ機械化部隊は凱歌(がいか)高らかにパリへパリへと快速進撃を続けました。
マジノ要塞本防御戦の攻防にあたって、独仏両軍は死力を傾け、精根を尽くして相争い、戦史未曽有の大激戦を展開しましたが、さすがのフランス軍もドイツ精鋭の前に敢えなく打ち破られ、無惨敗戦の姿を見せました。
この戦闘にフランス軍の捕虜、約20万を数え、フランス兵士に混じってアフリカ土民あり、インド植民兵あり、いずれも精鋭ならび無きドイツの電撃戦に茫然(ぼうぜん)自失の有様を見せています。

フランダースの決戦に、一敗地にまみれた英仏連合軍は、ドイツ軍の包囲陣を破って英仏海峡の要衝、ダンケルクに潰走。これを急追するナチスの荒鷲と救援イギリス海軍の間に凄惨目を覆う大激戦を展開。濛々(もうもう)たる爆雲と張り巡らされた煙幕をくぐって、英仏兵は海中を軍艦に辿り着かんと悲壮なる最期の努力を試みています。
猛爆下、死の脱出、ついに成る。救援艦隊は全速力をもって一直線にイギリス本土へと急行しました。
恐怖と戦慄(せんりつ)の幾週間、我々はついに救われた。信ぜられぬほどの奇跡でなくて何であろう。数々の戦火をくぐり、生死を誓った英仏の戦友は、疲労を忘れ、労苦を忘れ、よろめく足を踏みしめて、ただ生還の喜びにひたり、言いしれぬ感激に咽(むせ)びました。

紺碧(こんぺき)の空、美しく晴れ渡って、初夏の日の慶(よろこ)びに栄える6月26日朝、盟邦・満洲国皇帝陛下には、御召艦日向にて奉礼砲轟(とどろ)く横浜港に御到着。奉迎に沸きかえる我が国土に晴れの第一歩を印せられました。御出迎えの高松宮殿下と御揃いにて、4号岸壁に御上陸の皇帝陛下には、長(なが)の御旅路にも御疲労の御模様無く、御軍装、御英姿も颯爽(さっそう)と御上陸あそばされました。
軍楽隊の満洲国国歌吹奏裡に4号岸壁上屋前に整然と整列する木山大佐指揮の海軍儀仗兵を御閲兵あそばされました。
ついで臨港駅プラットホームより御召列車に御乗車あそばされ、日満両国旗の波と軍官民一同の熱誠こめる奉送のうちに、10時45分御発車。横浜港を後に一路帝都へと向かわせられました。

11時30分、御召列車は米内首相以下、謹んで御迎え申し上げる東京駅第3ホームに到着。満洲国皇帝陛下には、最終部展望車より御下車。かしこくも天皇陛下には聖駕(せいが)を駅頭に進めさせ賜い、盟邦の君主を親しく御出迎えあそばされ、御来訪の皇帝陛下と御5年ぶりに固き御握手を交わさせられました。
新東亜建設の聖業(せいぎょう)に邁進(まいしん)する日満両国民の胸に永久(とこしえ)に記念さるべき、感激の一瞬であります。
次いで皇帝陛下には、各皇族殿下と御懇(ごねんご)ろなる御握手を交わさせられ、また奉迎の所員に挙手の礼を賜りました。
かくて皇帝陛下には、聖上陛下の御見送りのうちに宮中差し回しの自動車に高松宮御殿下と御同乗。沿道市民の奉迎を受けさせられつつ、御滞京6日間の御宿舎たる赤坂離宮へと向かわせられました。

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