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番組名 [ハイビジョン特集]満蒙開拓青少年義勇軍 ~少年と教師 それぞれの戦争~
戦地 満州(興安、嫩江) 日本(長野)  放送日 2010年8月11日

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チャプター

[1] チャプター1 教師に送り出された義勇軍の悲劇  05:07
[2] チャプター2 長野県・第七次斉藤中隊  03:19
[3] チャプター3 教師による勧誘~渡満  05:12
[4] チャプター4 嫩江訓練所の訓練生活  03:43
[5] チャプター5 義勇軍創設の真意 ~関東軍の予備軍~  01:13
[6] チャプター6 厳しい訓練所の現実 体罰・赤痢  04:00
[7] チャプター7 満州を覆う不穏な空気  04:48
[8] チャプター8 8月9日、ソ連軍侵攻の日  03:14
[9] チャプター9 逃避行、現地住民との交戦  09:10
[10] チャプター10 中国人の処刑、ソ連軍との交戦  08:02
[11] チャプター11 送り出したのは教師だった  04:40
[12] チャプター12 長野県・送出1位の背景  10:21
[13] チャプター13 昭和20年、苛酷な難民生活  07:19
[14] チャプター14 留用、そして帰国  05:47
[15] チャプター15 拓友慰霊会、少年と教師たちそれぞれの思い  12:57

番組内容

満蒙開拓青少年義勇軍は、満州(現・中国東北部)の開拓と警備を未成年者に担わせるため創設された。「王道楽土を建設し、五族協和を実現する」というスローガンを信じ、全国から8万6千人もの少年が大陸へ渡り、そのうち約2万人が命を落とした。

全国で最も多いおよそ7000人もの少年たちを義勇軍に送りだしたのは長野県だった。昭和19年(1944年)6月には長野県中部地方から217人の少年たちが満州へ渡った。満蒙開拓青少年義勇軍、第七次斉藤中隊。中隊長・斉藤義男(よしお)ら大人の幹部6人が率いていた。

少年たちは当時、14歳から16歳。彼らが暮らした山村では多くの農家が狭い耕地や小作料の重圧にあえいでいた。長野県での義勇軍の募集は主にこうした貧しい農家の次男・三男を対象に行われた。少年たちの多くは学校の教師によって義勇軍への入隊を呼びかけられた。義勇軍に入れば3年後、満州で土地を与えられ入植できることになっていた。

第七次斉藤中隊は満州北部の嫩江(のんこう)の訓練所に入り、その後、モンゴルとの国境に近い興安に移っていた。そして昭和20年8月9日、ソ連軍が満州に侵攻すると少年たちは350キロ先の新京をめざし撤退を開始。15日の終戦も知らず、反日感情に満ちた現地住民との戦闘を繰り返しながら逃避行を続けた。

9月5日、少年たちはソ連軍に投降したが苦難は続いた。幼かったためシベリアでの強制労働は免れたものの、頼れる大人もいないまま興安やチチハルといった厳寒の地に放り出されたのだ。粗末な難民収容所で寒さと飢え、病気などで次々と命を落としていった。

少年たちは生き残るために現地の農家や商店で働いた。中国の軍隊に入隊し10年近く帰国できなかった者もいた。斉藤中隊の217人のうち121人が大陸で命を失った。

関連する地図

満州(興安、嫩江)

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