ホーム » 証言 » 山田 太一さん

証言

タイトル 「「車輪の一歩」に こめられた思い」 番組名など 戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 2015年度「未来への選択」
第6回 障害者福祉~共に暮らせる社会を求めて~
氏名 山田 太一さん 収録年月日 2015年12月4日

「戦争証言アーカイブス」の動画ページ、一部コンテンツには、Adobe Flash Playerを使用しております。快適にお使いいただくためには、最新版のAdobe Flash Playerをインストールしてご利用ください。

※NHKサイトを離れます

また、推奨環境につきましては、FAQをご覧ください。

チャプター

[1] ドラマ「車輪の一歩」のきっかけ  04:17
[2] 「青い芝の会」に対する印象  06:23
[3] ドラマ「車輪の一歩」のねらい  13:22
[4] 議論になった「迷惑をかけていい」というセリフ  09:28
[5] 「平等」とは何か?  07:27

再生テキスト

本間さん(当時「月刊障害者問題」というミニコミ誌を編集していた、ポリオによる身体障害のある本間康二さん)たちが僕にインタビューしたいと言ってきたところから、「車輪の一歩」は始まったといえば、始まったわけですけどね。

Q:それまでは全然山田さん、そういう人たちとのつきあいはなかったんですか?

なかったですね。そういう方たちがいることはもちろん知ってましたけども、友だちや何かに車いすの人がいるとかっていうようなことはなかったですね。ですから、急に何人もの身障者の人たちが僕をインタビューしたいと言ってきて、ある場所で会ったんですよね。その時に、本当に僕はこの人たちの現実を知らないなと思ってね。それから3年ぐらい、それはドラマとは関係なくつきあっていただいてて、それで、「車輪の一歩」が書けるようになったんですね。そのくらいないと、なかなか、ああいう話を成熟させて書くっていうことは難しかったですね。

Q:ある意味、引きこまれていったっていう感じはありますか?

そうですね。僕が普通にしてて、知っていく世界ではなかったですからね。少なくともその時点ではね。それ以後、いろいろ教えられて。で、撮影の時だって立ち会ってもらったんですよね、その人たちに。それで、「いまこんな車いす使ってない。NHKは古い」とか言われたらしいです。そういうふうに、みんなでそうやってある物語に入り込んでいくと、思いがけないことがいっぱい分かりますよね。そういうのをドラマの中に取り込んでいくってことも、私たちの1つの役割ではないかなと思いますけどね。

Q:車いすを押されたりもしたんですよね。

そう。最初に会った時に、あんまり、僕は車いすの人たちのことを知らなかったから、帰りに、「駅までどなたかの車いすを押させてくれ」って言ったら、「いいですよ」とか言って、「あなたが段差があるところを乗り越える時は怖くて、こんな押され方は初めてだ」とかって怒られてね。あぁそうなんだ、こんな車いす押すぐらいのことなら、僕は何の訓練もいらないだろうと思ってたけど、そんなことではなかったですね。怖がらせてしまいました。

「日本人は何をめざしてきたのか 2015年度「未来への選択」 第6回 障害者福祉 共に暮らせる社会を求めて」 より

1976年、川崎市の路線バスで、車イスでの乗車が拒否されるという問題が起こります。 「青い芝の会」の人が、事務所に行く時に使う路線でした。 バス会社は、安全確保のため、介助者が付添い、車イスから座席に移らなければ乗せられないと主張。 「青い芝の会」は、車イスのまま乗車できるように交渉しますが、認められませんでした。

翌年4月、およそ40人の会員が支援者と共に川崎駅前に集まり、無理やりバスに乗り込みます。 乗車を認めないバス会社に抗議するための行動でした。 バス会社側はそれを阻止しようとして、もみ合いになります。 バスの前に横になり、運行を妨げる会員もいました。

******

それはうちの近所でしたからね、「青い芝の会」。だから、そこのバス停で「1人で乗せない」っていうのでね、みんなで、バス停のところでみんな横になってね。私はただ単にそこを通る人間でしたけども、ちょっとびっくりしましたですね。その激しさにね。

Q:びっくりというのは、怖いとか、どんな印象だったんですか?

僕ら、のんきだったなっていう気はしましたね。こんなに近くでこれだけ、つまり、過激に怒っている人がいるのに、それを知らなかったから。こういう声を上げるっていうことは分かりましたけど、納得しましたけども。ただ、これはちょっと大変だなって気はしましたですね。バスの運転手さんだって、個人的にはどうしたらいいか分かんないことでしょう?運動の初期っていうのはそういうものだろうとは思いますけれどもね。激しさ。 私、そのまんまそれをドラマにするっていうふうにすると、見てる方とちょっと距離が離れすぎてしまうんじゃないかなと思ったのね。

Q:それくらい激しかった。

寝ちゃうわけですからね、バスを動かせないようにしちゃうわけですから。それは激しく怒ってましたですね。

Q:怒っていることを知らなかった。

きっと新聞やなんかでは見てたんでしょうけどもね。これかっていう感じで、最初は見ましたですね。

Q:そういう(激しい)表現のしかたに違和感を覚えましたか?

つまり、運動っていうものは、そういう時があるとは思います。そうじゃないと、世の中の人は気がつきませんからね。だから、それはそれで正当なものだとは思いましたけれども、それで怒って、怒ってという形でこの運動を進めていくと、ちょっと、一般の人っていうのかな、健常者の人たちが、自分の問題として考えにくいんじゃないかなとは思いましたね。

Q:たまたま山田さんはその近くに接したわけですけど、周りの人たちの拒否感というか。

それはみんな、ちょっと怖いからね、引いたりしてましたよ。中には励ましたりした人もいたかも分かりませんけど、私自身はそういうことはしませんでしたし、そういうのを見たわけではありませんけれども、でも、みんな頑張ってねっていう人がいても不思議はないですね。1人ではバスに乗せないっていうこと、電車もそうでしょう。それはやっぱり、すごく腹立たしいことだったと思いますね。

その人たちの身になれば分かりますよ、その怒りっていうのはね。絶えず介助がなければ動けない、バスに1人で乗れない。乗れるんだから乗せてくれっていうことですよね。そのころから考えれば、身障者の人たちの社会の向き合い方っていうのは、ずいぶん僕、変化したと思うな。

私は「青い芝の会」の人たちのように、身障者の人たちが不満を持ってるんだっていうところからドラマをスタートすると、今言いましたように、主題に入っていくまでに時間がかかってしまうと思ったんですね。それで、みんなで、車いすの人たちがデパートの前へみんなで行って、「邪魔だからどいてくれ」ってわざと言わせる。そこから始まったわけですよね。それを排除する側のガードマンの若い人たちが、一方の主役なわけですよね、物語の。そういう姿勢じゃないと、ちょっとうまくいかないっていう気がしたのね。

Q:うまくいかない気がしたというのは、共感を呼べないってことですか。

そう、多くの人の共感。多くの人は、なんでだか分かんないけどデパートの入り口に車いすがいっぱい止まって、明らかに邪魔になってるのにどかないっていうのは、普通、何が言いたいんだか分かんないけど、邪魔じゃない。だけど、わざわざ邪魔だって言わせたくてそこにいるわけですよね。おとなしくしてると家にいるしかないから。それなら、1度世に自分たちはそうやって邪魔にされている存在なんだってことを分かってもらうために出て行って、デパートの前に座っちゃうわけですね。みんなで、車いすでね。 そうするとやっぱり、「どいてください。迷惑だってことは明らかでしょ」っていうふうに、普通の人の言い方で言うし、それをどかせろって言われてるガードマンにとっては、仕事としてもどかさなきゃならない立場になってしまう。それから、いったいあの人たちは何が言いたくて、何を怒ってそういうことをしたのかっていうところからドラマが始まるわけですよね。 今とはずいぶん違っててね、お祭りだって、「人がいっぱい出るところに車いすで来るな」って言われたような時代ですよね。いまそんなことを言う人はいないんじゃないでしょうか。あのころは、映画館も、「もっとすいてる時に来い」とか言われて断られたとかね。あのころは座席指定なんてなかったですから。要するに、人気のある映画館は立ち見までしてお客さんを入れちゃってましたからね。そこへ「車いすで見せてくれ」って言えば、それは、映画館としてはしょうがない。「もうちょっとつまんない映画の時に来い」とかっていう、ひどいことを言った人もいるらしいですけども。 それから、段差ね。歩道から向こう側の歩道へ渡るまでの、あれがほとんどなかったですよ。いまはかなりそれは改良されてますでしょう。結局、外へ出りゃあ「なんでこんなところへ来るんだ」っていうふうに言われてしまうっていうことで、家から出られない。いい人でいようとすると、家にいるしかないっていうふうになっていたんですよね。だから、それに対する、それでいいのかっていうドラマですよね。簡単に言えばね。 そのころに比べれば。駅だって、ある電車に乗りたいっていうと、何日か前に予約しなきゃいけない。信じられないようなことだけど、いま考えればね。何時の電車に乗るったって、身体障害者の人がその時間にぴたりと駅へ行くことだって、できないかも分かんないわけじゃないですか。だから、むちゃくちゃなんですよね、そんなのは。それで、駅の人に、それをもっと何とかしてほしいということと同時に、こっちも、つまり、車いすの側も声を上げなきゃいけないんじゃないかっていうのが僕の考え方でもあったんですね。 ですから、ドラマの最後に、外で大きな声なんか出せない車いすの女の子が、駅の階段のところへ行って、「どなたか私を上まで上げてくれませんか」って言うっていうところが、一歩前進というか、「車輪の一歩」だったっていう意味なんですけどね、それに比べれば・・ その時は、ドラマ見た方が、ずいぶん車いすの人が困ってると。2人ぐらいで駅の上のところまで上げてくれたっていうようなことがあったって聞きましたけど、それはそれでとてもうれしかったですけれども、いまはそんなことは、車いすの人は心配することは全くっていうくらいない、とても親切に駅の人が。そうすると、ほかの人は、あれは駅の人がやる仕事なんだから、私たちが上まで上げてあげましょうなんていうことは言わなくなりましたですね。それがいいのかどうか、そういうところも難しいところですね。 それから、エレベーターっていうのがホームと外へ行くところに。皆無だったでしょ?それで、「車輪の一歩」を見たあとで、大阪の身障者の方たちのグループが、自分たちは何とか、つまり、地下鉄の上まで行くエレベーターをつけてほしいといって、ものすごく運動してるんだけどなかなか相手にされないと言ってて、ある時、電話がかかってきて、たぶん僕、難波だと思うんですけれども、難波の駅か何かに「エレベーターがつきました」っていって、すごく喜んでね。「すごいねって、声を上げてみるものなんだね」って言ったら、いまもう、たいてい、ちょっとした駅にはみんなエレベーターがありますでしょう。そういうことでは、本当に昔から考えるとよくなってる部分も結構ありますですね。

Q:声を出せない時代、出したくても出せない時代だったっていうことも言えますか?

もちろん言えます。つまり、人に迷惑をかけるなっていうことが、いわば普通の人の道徳のナンバーワンぐらいじゃないですか。子どもにお父さんが、「お前はどうやって生きたっていいけれども、人にだけは迷惑かけるなよ」っていうふうに言うってことは、ごく当たり前のしつけみたいなものでしたですね。 いまだってそうかも分かんないけど、でも、車いすになったら、人に迷惑をかけないでいると、引きこもっているしかないっていうふうになってしまうってことを。これはつまり、すべての人が道徳に、ただ単純に従えばいいというものではなくて、ある場合には、時と場合によっては人に迷惑をかける。迷惑と言っていいかどうか分からないけど、人にお願いをするっていうこと、力を貸してもらうっていうこと、そういうことがあっていいんじゃないかっていうドラマですね。

ドキュメンタリーやなんかだって、考えさせられるものはいっぱいありますから、どう言ったらいいか分かんないけど、みんなが議論できるようなドラマを少し狙ってたところはありますね。

情緒的な満足感よりも、あるテーマについて主人公と相手の人たちがどういう反応をして、何を考えて、何をしゃべるかっていうことが、なるべく相対的に、主人公だから正しいことを言ってるっていうふうじゃなくて、言い返す人たちも作ろうと思って書きました。

Q:1人が主人公ではない。

ええ、そうです。そうです。1人が主人公じゃないっていうのは、そのころ、僕はほかのところでも、みんなそれを狙ってましたですね。男と女が出会って結婚するまでとか、別れるまでとかね。それで、あとの人たちは、いわばそれに奉仕する、物語に奉仕する人物だっていうようなものは、テレビにちょっとふさわしくないんじゃないかなって気がしてたのね、そのころ。テレビっていろんな人が見るでしょ。だから、みんなそれぞれ自分を主役だと思って見てられるようなね。 それは無理だけど、とにかくヒーローとヒロインがいて、あとは、それを補佐して物語を支えるっていうような話は、僕はどうも、もう向いてないって気がしてきたころでね。この作品もそうですけど、ほかの作品でも、割合多人数の人が出てくる。で、いろんなことを考えてるとか、感じてるとか、しゃべるとか。そういうドラマを作ろうということは、意識的に考えてましたですね。

Q:車いすの人たちも1人じゃないですよね。

そう。大勢。

それはもう大勢のほうがいいですよ。不満はいろいろでしょうからね。1人の人のつらさだけじゃ、多くの人に届かないところもありますから、なるべくいろんな人がいたほうがいいですよね。で、いろんなことを言うっていうふうにね。ですから、その都度、その都度そのシーンは、その人主人公みたいなところも外さないようにしようとは思ってましたね。

Q:当時、山田さんがおつきあいになっていた身障者の方からの問題提起というか、そういう話は出てたんですか。

もちろん出てました。ですから、身障者の方と、僕は最初に知り合ってから3年ぐらいたってるんですよね、あの脚本を書くまで。それは、ドラマをすぐ書こうとかっていうんじゃなくて、僕が現実を知らなかったからね、身障者の人の。それを知るっていうことで、知ってみようと思って会ってもらったり、それから、ご家族の人なんかにもお目にかかったことがあります。何人か、かなり、幾人もの方とですね。 そういうんで、だんだんだんだんドラマがどういう方向で、どういうふうに行ったらいいのかっていうことを考えて、人に迷惑を、時と場合によってはかけていいじゃないかっていう考え方。それは、そのころ、僕に会ってくれた身障者の方の密かなテーマでもあったわけですよね。 それで、僕がこのドラマの、鶴田浩二さんが、「君たちは遠慮ばっかりしてるけれども、君たちは体が不自由なんだ。それはつまり、不自由じゃない人とは別の現実を抱えてるんだから、迷惑をかけてもいいんじゃないか。時と場合によってはね」っていうドラマを書きましたら、その身障者の方たちが、「その発想は、自分たちが考えて、ギリギリいま迷惑かけてもいいんじゃないか、迷惑、みんなでかけようよっていう時に、健常者っていうか、つまり、ご不自由でない鶴田浩二さんが、説教でもするみたいに言うのは嫌だ。それは間違いだ。身障者の人たちが声を出したい」と言ったんですけども。 でもね、ドラマとして普通の人が見てると、普通の人っていうのかな、多くの人が見てると、体の不自由な人たちが何人も出ますですね。そして、「俺たちは迷惑をかけていいんだ」と言って、そうだ、これからは積極的に迷惑かけようと言って、それでドラマが終わったら、何となくみんなムッとするというかな。 で、僕は、その人たちはそこまでは言えてないんだけど、鶴田浩二さんという、つまり、年長のものの分かった人が、「君たちはいいんだ、ギリギリの迷惑はかけてもいいんだ、かけようって思わなきゃいけない」と言って、最後のシーンで「階段を上まで上げてください」ってやっと言える話にしたんですよね。それは分かっていただいて、「こういうふうじゃないと多くの見てる方は反感を抱いたりするからこうしたいんだ」と言って分かってくれた上で、あの放送になったんです。

Q:本人たちのせりふじゃなくて、鶴田さんが言うっていうことですけど、そういう話を本間さんたちにされた時に、まだまだ社会の人たちには届かない壁があるというか、そんな話の議論なんかもあったんですか?

迷惑かけてもいいんだっていうような考え方を、皆さんが抱き始めていることは、その会話の中で知ってたからね。だけど、そのまんま身障者の人たちだけが団結して、それを世の中に言うっていうんじゃ、世の中は納得しないというかな。納得する人ももちろんいるでしょうけれども、それを「青い芝の会」がちょっと過激になさったんですよね。でも、君たちを助けようっていうふうになるってことは、小人数の人はそうなるけれども、多くの人は、じゃあ明日からどこかで不自由してたら手を貸そうっていうふうになるかっていうと、僕はならないと思ったのね。 それで、第三者が「迷惑かけてもいいじゃないか、ギリギリの迷惑は君たちはかけてもいい。家にばっかりいることだけが、そして、誰にも迷惑をかけないっていうふうに、かけまい、かけまいとしている人生は寂しいじゃないか」と言って、それで、身障者の人たちが後ろから背中を押されたような形で迷惑をかけようっていうふうになるってことは、あの時代としては、僕は手続き上、やっぱり必要だったと思います。今はもうちょっと気の強いことを言っても分かるかも分かんないけども。

Q:それは、ご自身が「青い芝(の会)」の人たちを見た時の違和感だったり、あのままじゃ難しいなという、そのあたりが反映されているというか。

そうです。それはね。大勢の方が見てくださるわけですから、主張っていうのは、その人にとっては切実でも、他人にはひと事ですから、その気持ちを分かっていただくためには手続きがいるとは思います。それはいまだって、僕はそうだと思います。

つまり、人の現実を分かってもらうっていうのは、非常に難しいことですよね。だから、言わないで済ませちゃおうと思う人だってたくさんいると思いますけれども、でも、あのころは、タクシーも手を上げても車いすだとスッと行っちゃうとかね。そういうとこでは、その後の日本の社会では、ずいぶん変わった、よく変わった部分も結構あると思いますね。 もっと立ち入って言うと、身障者の人だから近づきやすいっていうような人もいるし、それから、誰かの力になりたいっていう時に、身障者の人だったら素直に助けられるじゃないですか。だから、必ずしも身障者の人は、みんなから、「あんまり来ないで」とかって言ってるわけじゃなくて、案外モテたりする人もいるんですよね。僕はある人とつきあってて、僕よりずっとモテてるじゃないか、この人はと思ったくらい人気のある人もいるわけですよ。だから、必ずしも、車いすであるってことがマイナスばっかりじゃないってことも、僕はそのころ、その人たちとつきあってて感じましたですね。

普通に孤独な人だったら、ちょっと声かけにくいじゃないですか。「あなた孤独?助けてあげようか」なんていう人はいない。でも、身障者の人なら当然、つまり、何か不自由していらっしゃるんだろうなと思って助けるってことで、むしろ人間の関係ができていきやすいっていう側面だってあるわけですね。

人間はやっぱり、すべて平等ってことはありえないわけでしょう。だって、だいたい顔が違うもんね。顔が違うし、才能の方向も違うし。生まれれば全部、どの人も不平等ですよ。不当にきれいな顔の女性がいても、それは不当だとは言えないけど、でも、不平等ですよね。どう見たって若い女の人できれいな人のほうが、いい思いをするチャンスは、普通に言えば多いですよね。 でも、だんだん僕みたいに年取ってくると、ある時非常にきれいだった人ほど、年を取ってきた時のつらさ、かつての輝きがどうしたってそれはなくなってきますから、そういうつらい面もあわなきゃなりませんですよね。そうやって、僕、案外人生って公平なところもあるなと思うね。 人気者で、おつきをいっぱいつけて活躍していらっしゃる方は、端から見ればすばらしいってふうに思うけれども、だけど、そうやって周りでガードされると、あるところから人生が何だか分かんなくなってくる、世の中ってどういうものだか分かんなくなってくる。相当頭のいい、勘のいい人でも、分かんなくなっちゃうようなことが、僕はあるような気がしますですね。私はそういう世界で長く生きてきたせいかも分かんないけども。 だから、人間は不平等に見えて、案外長く人生を生きてると平等だよっていう考え方も、僕は真理の1つだとは思いますね。目先が不平等で、つまりそれは、みんなが協力したり、何かのツールが発達すれば解決するものだったら、それは声をあげて改良し、解決していくってことはとってもいい社会だと思いますですね。だけど、ギリギリ最後に突き詰めて言えば、みんな不平等ですよ。1人として似てる人はいないんだもの。だって、親が違うしね、出来事が違うしね。生きていって。 だから、何でもかんでもみんな同じ水準にいこうっていうのは、そんなことはありえないわけですから、みんなそんなことで文句は言わないでしょ。そういうものだ、世の中ってそういうものだと思って、ある時は主役でいたり、ある時は3番手ぐらいにいたりってことは、普通にみんな生きてますよね、それを受け入れてね。そういう判断みたいなものは、僕は身障者の方たちだってというよりも、その人たちほど、そういう現実の厳しさはご存じだと思うな。

Q:そこから、生きる術じゃないですけど、力っていうか。

そうそう。そういうものが湧く人もいますよね。なめらかに、なめらかに生きてる。親がお金持ちだったりして。そうすると、かえって孤独だったり、退屈しちゃったり、何のために生きてるんだろうみたいになっちゃったり。人よりもちょっと何か乗り越えなきゃならないものがあるってことも、こんなことは言葉の使い方を用心しなきゃいけないけれども、恵みでもあると思いますですね。 人が死ぬっていうことだって、恵みと言えば恵みでしょう?ずっと死なないよって言われたら、たいていみんな死にたいよって言うかな。死にたいとは言わなくても、何か、つまり終点がほしいって。それじゃなきゃ、生きていくのつらいっていうのは、普通にあると思うから。そのへんの不平等とかっていうことも、つまり、システムとか何かの問題ではなくて、いわば文学的な視点っていうのかな。そういうものは、僕、もっととり入れられてもいいんじゃないかと思いますね。

つまり、何が幸福か分からないっていうような、文学的と言っていいのかな。人生についての考え方ね。そういう時に、不自由だって言うと、不自由は恵みだよなんて言ったら怒られちゃうでしょ。だけども、それが恵みであることも、僕はある時には真実だと思いますですね。自分の限界があるっていうこともね。限界がないなんてことはありえないんだもんね。みんな限界を持ってますよ。それから、何か不平等な扱いを受けたりね。 でも、それが全部なくなったら、人間じゃなくなっちゃうよね。人間の世界じゃなくなっちゃう。だけどそれは、政治家とかシステムを考える方たちの考え方ではないですね。私たちみたいな、ドラマを書くとか小説を書くとか、そういう意味で文学的と言ったんですけども、そういう人間は、そんなにはっきり、この人は損をしてるとか、得してるなんてことは、一口には言えないっていう世界を把握してなきゃいけないと思いますですね。政治の考えている方とは違う視点から、身障者の方についても捉える視点を持ってなきゃいけないとは思いますですね。

プロフィール

「岸辺のアルバム」「ふぞろいの林檎たち」などのヒューマンドラマで知られる脚本家・山田太一さん。NHK土曜ドラマで1976年から放送したシリーズ「男たちの旅路」では、警備会社を舞台に登場人物が様々な考え方や価値観をぶつけあい、社会問題を浮き彫りにして話題を呼んだ。中でも、1979年に放送した「車輪の一歩」の回では、障害者と社会との関わりを描き大きな反響を得た。

1934年
東京に生まれる
1958年
松竹に入社 映画の助監督に
1965年
フリーの脚本家となる
1976年
NHK土曜ドラマ「男たちの旅路」シリーズ放送開始
1979年
「男たちの旅路」第4部で「車輪の一歩」放送
 
以後 現在に至るまで脚本家として活躍

ページトップ