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証言

タイトル 「「傷痍軍人」対策から 始まった日本の障害者福祉」 番組名など 戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 2015年度「未来への選択」
第6回 障害者福祉~共に暮らせる社会を求めて~
氏名 寺脇 隆夫さん 収録年月日 2015年11月6日

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チャプター

[1] 「身体障害者福祉法」はどうできたのか?  07:14
[2] 「傷痍軍人」から「全ての身体障害者」へ  02:40

再生テキスト

『戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか  「未来への選択」 第6回 障害者福祉 共に暮らせる社会を求めて』より

敗戦を迎えた日本。GHQの占領下で、戦後のスタートを切ります。 焼け野原となった街で、人々はモノ不足の中、困窮生活を強いられました。 戦争は、数多くの障害者を生みました。 戦闘で障害を負った傷痍(い)軍人は、32万人にのぼりました。 非軍事化政策を進めるGHQは、軍人恩給など、傷痍軍人への支援の打ち切りを命じます。 生活に困窮した人々は、街頭などで募金を訴えました。

救済を求める傷痍軍人たち。しかし、GHQの占領下、政府は救済に動けませんでした。 そんな時、アメリカから一人の女性が来日します。 三重苦の障害で知られるヘレン・ケラー。社会活動家として活躍していました。 ヘレン・ケラーは、全国を講演して回り、政府やGHQとも懇談。身体障害者への支援を訴えます。 これを機に政府は、傷痍軍人だけでなく、身体障害者全体に対象を広げた法律を作ります。 1949年、日本で初めてできた障害者のための法律「身体障害者福祉法」。 義足や義手などの給付や、職業訓練など、社会復帰を目的としたものでした。

*******

Q:どの辺にあるんですかね。

木村文書はここ。こっち側ですね。

Q:どの辺がその資料になります?

13番1のKの、ここに2箱ありますね。傷痍者関係及び身体障害者関係ね。

Q:ちょっと見せていただいていいですか?

ええ。これ2つ、もう1つ、上の13番と、この。これを下ろしましょう。もう1つ。

Q:はい。

最初はね。

(厚生省の法案では)福祉って言葉もない時期のものは、いろんな名称が登場してきますけれども、傷痍者保護更生法案と言ったり、いろいろ、こちょこちょ同じ文書の同じものの中でも、これは傷痍者福祉法って言葉が使われてますけども、こちらのほうには傷痍者保護法って書いてありますから、両方ごちゃごちゃ混乱してて、初めて福祉って言葉をここで使ったわけですけども、傷痍者はそのまま残ってると。

Q:それがどういうふうに変わったんですか?

身体障害者って言葉をつけるように、途中でなったり、その辺からですね。

Q:どの辺ですか?

49年2月のこれからですね。身体障害者って言葉を使うのは、この試案の49年2月のこれですね。

Q:そこから身体障害者。

身体障害って言葉が登場する。ただ、福祉って言葉はここでは使ってないんです。ただ、その前にも使っていると。福祉とか保護っていうんで、ちょっと呼び方が違うけど、ごちゃごちゃになって、定着するのが49年の2月末から3月にかけてがこれでしょうね。

Q:どうして傷痍者っていう呼び方から、身体障害者っていうふうに変えていったんでしょうか、厚生省は。

1つはGHQに対する遠慮もあったんでしょうね。

Q:GHQへの遠慮というのは。

要するに、傷痍軍人を意味すると。傷痍軍人だけの法というニュアンスが受け取られかねませんし、当時の人たちの多くも傷痍者っていう場合、傷痍軍人っていうイメージもかなり強かったと思うんですよ。それを盲人やなんかだけじゃなくて、非常に広げて。盲人の場合も中途失明者っていうのだけを、どちらかというと焦点を当てるというふうになってましたから。

Q:それがなぜ、身体障害者というふうに。

広く全体、すべての国民を無差別平等に扱うべきだと。軍人さんだけを、戦争のためにお役に立った人だけを取り上げるっていうのは差別だと。というよりも、戦前日本の軍国主義体制をイメージするものだからっていうことじゃないですかね。GHQの係官も、そんな深い意味もないけれども、そういうことで日本の軍国主義を解体すると。戦争体制をやめさせる。戦争体制イコール、傷痍軍人優遇ということで、優遇、優先。それ以外の国民は一切無視、ほったらかし。これが現実だったですから。日露戦争の頃からそうですよ、この種の話は。

Q:なぜ身体障害者という名前に変えるといいんでしょうか?

国民すべてを対象にして、無差別平等に手助けをする。援助をする。そういう体制ならばGHQの掲げているスローガン、無差別平等の社会福祉という方向に合うからじゃないですかね。

Q:日本の障害者福祉の始まりというのは、傷痍軍人の人たちの対策をどうするかっていうところから。

そうです。日露戦争の時からそうです。廃兵院という、変な言葉ですが、役に立たなくなった不具廃疾(ふぐはいしつ)の廃兵院(はいへいいん)。これは軍人さんを対象にして施設を作って、いま箱根に後継の施設がありますけれども、いま、障害者を広く対象にしていますけれども、重度の身体障害ですよね。それから、そういう人たちの家族やなんかを含めて、亡くなった人やけがをした傷痍軍人、日露戦争が始まると同時に、そういうものを軍人さんのために作っていましたから。それは大正、昭和と、100年の間に少しずつ整備されていきましたけども、昭和20年までは軍人さんオンリーですね。それ以外はびた一文、99.9%ぐらいはそういうのを主として対象にしていた。一部の民間やなんかは、若干は別なものもありましたけれども。

Q:終戦後の話、この法案は終戦後のものですけれども、終戦後の、広く身体障害への福祉の始まりも、傷痍軍人の方たちの対策が始まりだったんですね。

そうですね。それを一挙に拡大した、考え方を変えさせたというのが、戦争の敗北だったんじゃないですかね。戦争による敗戦ですね。敗戦という事態が、昭和20年、21年、22年、23年、25年ぐらいまでの5年間ぐらいの間にがらっと変わっていくということがあったんじゃないですか。

それまでの軍国主義、軍人優先体制。それしか人間はいないというような見方さえあったぐらいの状況を、すべての国民を対象に無差別平等に福祉、あるいはこういう医療、保険、そういった福祉サービス関係のものを保障していくというか、義手・義足を給与するのを国民すべてに提供する。そういう方向に変わったってことでしょうね。

プロフィール

1949年、日本初の障害者福祉の法律「身体障害者福祉法」が成立した。背景には、戦争で障害を負った傷痍軍人たちの救済を求める声があった。元浦和大学教授の寺脇隆夫さんは、戦後、厚生省社会局長を務めた木村忠二郎氏が残した、この法律の検討段階の資料を分析。GHQが「非軍事化政策」をとり軍人に特化した支援を禁じる中、身体障害者全体に対象を広げ法律ができた過程を調べた。

1938年
甲府に生まれる
1960年代~
財団法人東京都政調査会研究員
1983年
長野大学 社会福祉学部 教授
2003年
浦和大学 総合福祉学部 教授
現在
日本社会事業大学 図書館運営委員
 

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