森に住むカニ 大行進!

第035回「森に住むカニ 大行進!」

2006/12/17(日)午後7時30分~

首都圏・神奈川県の三浦半島の住宅街にあるわずか1キロ四方ほどの小さな森「小網代(こあじろ)の森」。一歩足を踏み入れると、大木が生い茂るうっそうとした森が残されています。この森は、アカテガニがすむ森として知られています。アカテガニは、甲羅の幅4センチほど、東北より南の沿岸にすみます。森の中で木の実や昆虫を食べ、土に穴を掘って寝る変わったカニです。小網代の森では、夏になると、数十万匹もの大群で一斉に海へ向かって行進を始めます。道路や民家の中を通り抜け、崖を下りながら数キロの道のりをひたすら大行進。なんと民家の風呂や布団の中にまで入り込むこともあります。カニたちが向かう先は海。大潮の晩に波打ち際を埋め尽くして、一斉に腹に抱えた卵から子供を海へと放つのです。カニの大集団は、別の生き物たちを呼びます。入り江には数億ものカニの子供を狙って、ボラやゴンズイなどの魚の大群が押し寄せ、さらには、その魚を狙うサギが集まってきます。無事試練をくぐり抜けたカニの幼生たちだけが、小さな入り江の海底に広がる海草「アマモ」の群落の中に隠れてカニの姿へと成長し、秋、再び、森に帰っていきます。首都圏に残されて森を舞台に、大行進と大産卵を行う知られざるカニのドラマを描きます。

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取材こぼれ話

小網代(こあじろ)の森 編

  

※注意!:小網代の森・海岸のほとんどは私有地や県有地です。
トラブルを避けるためにも、自然観察の際は必ず下記団体へご連絡下さい。
NPO小網代野外活動調整会議(TEL045-540-8320)

遠い日の思い出

夏の夕暮れ、祖父母と一緒に海水浴から帰る私の前に、突如、道路を埋め尽くすようにうじゃうじゃと現れた赤いカニの大群。とても小さい頃、ふるさとの福岡での記憶ですが、夕暮れ時のその幻想的な光景だけはぼんやりと覚えていました。でも、あのカニはいったいなんだったんだろう?本当にあんなにたくさんいたんだろうか?そもそも気のせいでは・・・? その後、長いことそんなことを忘れていたのですが、最近調べ物をしているうちに、ふとそのカニが『アカテガニ』という名前であるということが分かりました。「普段は森の中に隠れ住み、年に一度夏の大潮の晩に一斉に浜辺で産卵する」・・間違いありません。小さい頃見たおぼろげな記憶が、一瞬にして鮮やかに蘇ってきました。やっぱり気のせいではなかったんです。 それにしても、カニなのに森の奥に住み、年に一度大移動するなんて、なんともロマンチックな話じゃありませんか。 ところが、詳しく調べていくうちに撮影はなかなか大変そうだということが分かってきました。アカテガニは本来なら九州から東北まで日本中に生息しているはずなのですが、現在は生息地が非常に少なくなっているといいます。アカテガニを研究している研究者に尋ねたところ、20年ほど前に比べると生息数は何十分の一になってしまったのではないかということでした。小さい頃見た、海岸を赤いカニが埋め尽くすあの幻想的な光景をもう一度見ることができるのか?撮影に当たっては実のところ不安だらけでした。

森に住むカニの目で

アカテガニは大きいもので甲羅の大きさが4センチほど、子供だと1センチない程の大きさしかありません。ほとんどの場合は藪の中や岩の隙間に隠れているために、普通に探していてはほとんど姿を見ることができません。しかも小さなカニに対して、いかに視聴者の方に共感を持ってもらえるように撮影するか、これはなかなかの課題です。 日中、普通にアカテガニを見つけるだけでも大変ですが、そばによって撮影するとなるとこれまた非常に困難です。なぜなら非常に動きが素早いからです。これまでカニの足がことさら速いなんていう印象はありませんでしたが、やはり森に隠れ住む特別なカニだけあって、動きが速いのなんの。そーっとカメラを近づけても、うかつに「カサ・・」とでも音を立てたが最後、「ザザザ・・・」っと、あっという間に岩の隙間などに逃げ込んでしまいます。あまりに素早いこの動き、たとえていうなら、あの「ゴキブリ」の動きをイメージして頂くのがもっとも近いでしょう。 さらに彼らは実は強力な武器も持っています。言わずと知れた「ハサミ」です。これが実際どれほど恐ろしいパワーを持っているか、なかなか味わったことのある方は少ないのではないでしょうか。撮影のために茂みにはいつくばってカニを探していると、時々この恐怖の武器の威力を味わうことになります。 「あ痛っ!」と思った時には、なんとハサミだけを残して相手は跡形もなく消え失せています。これ、『自切(じせつ)』といって、カニは敵をはさんだ後自らハサミを切って、相手をひるませたスキに逃げるという技を持っているのです。しかも切れた後のハサミは、リモートコントロールされているかのように勝手にギリギリとすさまじい力で締め付けてきます。大きく盛りあがったアカテガニのハサミは信じられないほどの筋力を持っているんです。身から離れてなおギリギリと万力のように相手を締め付ける恐るべき武器。昔から言われる『カニの死ばさみ』(←死んでませんが。執念深い様子のたとえだそうです)とはよく言ったものです。 いろいろと苦労の末、ようやく撮影のコツも分かってきたら、今度は撮影手法も工夫しなければなりません。ただ普通に撮ってもせっかくの魅力的な相手が、単なる小さなカニにしか見えないからです。 そこで今回は、相手のカニの目線になって撮影することを一番に心がけました。なるべく目線を低く、カニの見ている目線で撮影する。言葉にすると簡単ですが、撮影はいちいち泥まみれ、クモの巣だらけになってかなり大変です。 でも、カニの目線になってみることで、それまで見えなかったいろんなものが見えてきました。小さな塀や、溝、道路が、カニの移動にとってどれほど大きな障害になるか、そんなことが実感できます。人間が歩くとわずか数時間の距離が、カニにとってとんでもない大冒険なのだ、ということが実感となって分かりました。

蚊VS撮影スタッフ

今回の撮影でもっとも苦労したのが「蚊」です。まあ、夏に屋外にいれば当たり前の話で、おおむね世界中どこへいっても苦労するものなのですが、今回の撮影場所は日本国内です。電池式の蚊取り線香を持っていれば大丈夫だろうとタカをくくっていたのが間違いのもとでした。カニたちの動きが活発になる夕暮れ時はちょうど蚊も動き出す時間。海岸沿いの藪に立っているとワンワンと音を立てて大量の蚊が群がってきます。ふと隣のカメラマンをみると蚊柱がたってぼんやり黒く見えるほどです。 夕方、産卵にやってくるカニを待ちながら、ふと近くの水溜まりをみると、水面が真っ黒。しかもよく見ると水面がざわざわ動いています。「・・??・・・・げげ!!!」 なんと、一斉にボウフラが羽化しているのです。しかもそこらじゅうの水溜まり全部が同じ状態。一瞬背筋が寒くなりました。 国内でこれほど蚊に悩まされたのは初めてです。様々な蚊よけグッズや虫除けスプレーを買い込み、これでもか、と試しましたが、一切効き目がありませんでした。 結局、スタッフは真夏にも関わらず全身雨合羽と長靴、防虫ネットを着込み、異様な出で立ちで歩き回るハメになりました。 撮影した小網代の海辺は、首都圏きってのリゾートでもあります。ヨットに乗った水着の人々の前に、突如山から現れた不審者は、さぞかし異様であったことでしょう。 でも、こうした苦労の甲斐は十分にあったと思います。結局、カニたちがいったいどんな大冒険を繰り広げたのか?詳しくは番組でじっくりとお楽しみ下さい。

あの夏への扉

撮影をした神奈川県・小網代には今回初めて行ったのですが、なんともいえず懐かしい気持ちで一杯になりました。昔ながらのたたずまいを残す静かな漁村、緑があふれる野山。どれも小さい頃に周りにあった懐かしい光景を思い出します。特に湧水のせせらぎが流れ、苔生した大木が茂る森の中にいると、ここが首都圏であることを忘れてしまいそうです。 また今回カニたちになったつもりの目線で撮影を続けていると、昔ながらの日本の良さを改めて感じました。きれいに草が刈られ手入れされたあぜ道や神社の境内、いつも欠かさずお地蔵様に手向けられた花など、住む人たちの地域への愛情がそこここからよく伝わってきます。 毎日ウロウロしている我々スタッフに対して、地元の方々はよく声をかけて下さり、なんだかんだと非常に親切にし下さいました。今年の夏は実家には帰れなかったけれど、なんだか田舎に里帰りをしたような気分で過ごすことが出来ました。 そして、八月の大潮の晩。満月の明かりのもと、海岸を真っ赤に埋め尽くした何万ものアカテガニたち。小さい頃見たあの懐かしい光景とまったく同じでした。

目線を変えて眺めてみる

「今度何の番組やるの?」 これ、一年中様々な生き物の撮影を行っている我々自然番組のスタッフの間では、時候の挨拶のようなものです。 しかし、『あの〜カニの番組なんですけど・・・』と答えると、他のスタッフからは「えっ、カニ?どこのカニ?何か珍しいカニなの?」という当然のつっこみが入ります。 『あ、いや日本全国どこにでもいて、特に珍しいカニではないんですが・・・』という私の答えに対し、『・・それ本当?そんなのでどうやって番組作るワケ?』とヒゲじい並のキビシイ反応が返ってきます。 ・・・ごもっともです。自分なりの自信をもって企画を出したものの、何度も聞かれるうちに、だんだん弱気になってしまいました。 でも、本当にごく普通の自然で、当たり前にいる普通の生き物を撮影して、面白い番組を作ることは出来ないのでしょうか? 『身の回りの自然に潜むドラマ』。その素晴らしさを再発見することが今回の番組を作るにあたっての自分なりのテーマでした。どれだけその狙いが成功したのかは分かりませんが、番組をご覧いただいた方に、改めて身近な自然に隠された、小さいけれど心打たれるストーリーを発見して頂ければ幸いです。 どんな場所のどんな生き物だって、住んでいる環境の地理的条件、歴史、人間を含めた他の生物との複雑な関係性なしには存在していません。自然に対し、ワクワクする心さえあれば、きっとどんな場所だって特別な命のドラマが幕を開けるはずです。なんて、ちょっとえらそうな事をいってみましたが、皆さんもちょっとだけ普段と目線を変えてみて下さい。都会の真ん中の公園や、小さな植え込みの中にも、きっとびっくりするほどいろんな生き物がいることに気がつかれることでしょう。そして何気ない日常がなんだかちょっと楽しくなるのではないでしょうか。