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証言

タイトル 「「持続可能な開発」を 実現するために」 番組名など 戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 2015年度「未来への選択」
第3回 公害先進国から環境保護へ
氏名 小林 光さん 収録年月日 2015年5月31日

チャプター

[1] 環境庁は地方から学んだ  03:48
[2] 「持続可能な開発」を目指して-『環境基本法』-  08:43
[3] 人間が生態系の一部となる世界を  05:38

再生テキスト

私が役所に入った、環境庁に入ったのが1973年ということで、まだ公害が盛んだった頃です。その頃公害が盛んな場所ってまあ、工業地帯で決まってましたんで、そこと連携を取って行政を進めるってすごく大事で、最初に配属された課が環境計画をやるところで、地方の公害防止計画を作るという課でした。ですから、地方の人とはよく行き来をしたり、まあむしろ地方の方が先進的な公害行政をしていましたんで、むしろ国はそれを利用して他にいい政策を他に移すっていいますか、横展開をするっていうのが仕事だったと思いますね。

あと、その県境とか市の境っていうのが環境には特に本当はないんで、特に川の行政なんかの場合には上流と下流が仲良くしないとできない、ということもありましたし、それから光化学スモッグなんかも相当広範囲に及ぶ公害ですので、例えば1都3県とかそういったようなところで政策の調整をするということは必要だったですね。

Q:当時よく革新行政がかなり取り組みが進んでたというふうにも聞くんですけど、具体的に本当に学ぶべき行政が結構地方にはあった?

そうですね、例えば緊急時にどういうふうにするかとか、それから汚染物質の排出量を常時監視する、テレメーターって言いますけれども監視をして、例えば県庁とか市役所で、その工場の排出状態がいつも分かる、リアルタイムで分かる、なんていうのもとってもまあ先進的な行政でしたね。

公害防止計画っていうのは地域ごとの計画なんですけれども、特に地方から学んだこと、ということだと、地域の汚染物質の総排出量を減らしてくというようなアイデアですね。当時はまだ、国の法律上は、地域の排出量全体を減らすっていうことはできなかったんですけれども、でもそれを減らさないと公害がなくならないっていうことで、その地域を限って、その計画上、計算をして、それをこう減らしてくというような仕組みをとったんですが、それはまあ、特に地方自治体の先進的な例に学んでそういうことをやった、というふうに言うことはできると思います。

東京や横浜の例を参考にしましたですね。その他に川崎市とか大阪市とかはとても先進的な環境行政をやっていました。

Q:それはやはり地方のそういったものを取り込むってことに対してやはり若い省庁だから、あんまりそこら辺は抵抗がなかったっていう。

若いっていうこともございましたけれども、結局その事実として地方の公害防止条例みたいなほうが進んでいて、それをこう、お国の法律に入れてくるっていうことは多かったんですね。ですから、その若いというよりは現場で困っていた人たちの知恵に学んだということじゃないかと思います。

「日本人は何をめざしてきたのか

2015年度「未来への選択」

第3回 公害先進国から環境保護へ」 より

公害対策から環境保護へ。 大きく転換していく時代の流れに、政府も対応した。 1993(平成5)年、 『公害対策基本法』にかわって、新たに、『環境基本法』を制定した。 「現在及び将来の世代の人間が、健全で恵み豊かな環境の恵沢を享受する」。 また、「環境への負荷の少ない健全な経済」を発展させることもうたわれた。

*****

実際にはリオのサミットより前に日本はこの法律を制定しようというふうに思っていたんですけど、ちょっと国会の解散なんかがあったりして間に合わなかったんですね。ただ、その地球サミットの国際的な議論と平行して、国内法制も変える。ですからその地球サミットを受けて、受け身で作ったんじゃなくて、その国際的な議論をそのまま日本も同時代でこう体験しながら作ったっていうのが正確なところだと思います。まあ決して受け身ではなかったという。

準備過程自体が地球サミットの準備過程と重なっていますんで、その結果を見て作ったんではなくって、一緒に地球サミットを準備しながら法律も準備したっていう関係だったと思いますが。まあでもその世界の流れとタイアップして出来た法律ですね。

逆に言えばその、世界中が持続可能な開発(この言葉は、地球サミットの「宣言」にもうたわれた)っていう言い方になってくれなければ、日本だけそういうことは言えなかったと思いますね。

Q:やはりここにも持続可能な開発っていうのが精神として相当中心に。

まさしくそうですね。『環境基本法』の原点っていうのはその持続可能な開発を実現するということだと思います。

「環境基本法」っていう本(参照しているのは「環境基本法の解説」環境省総合環境制作局総務課・編集)がありますけれども、解説だけでこんなに厚いんですが、環境行政の基本をいろいろ書いてるとこなんですね。やはりその地球サミットの与えたインパクトはすごく大きくて、結局それまでは公害がなければいいっていう感じで。被害がなければいいということでしたけど、その後はむしろ環境の恵みを長く持ってよう。みんなでそれを享受しよう、言葉は難しいですけど、そういうことに変わったんですね。ですから、何て言ったらいいんでしょう、その落第しないようにやるんじゃなくて、いい成績を取るようにやろうっていうことで、かなりもう考え方が変わったんですね。で、その経済も環境の負荷の少ない経済に変えるとか、そのために政策の手段も、みんなが参加するようなのにだいぶ変わったんです。まあそういう意味で大きな変化が、『環境基本法』にはあったと思います。

Q:例えばどんな?

そうですね、たくさんありますけど、私が担当してたのはその環境基本計画というところと、それから環境税みたいな、経済的な措置っていう部分なんですね。いずれも初めて基本法制としては入ったものなんですが、例えば環境基本計画っていうのは国の計画として環境をどうするかっていうのを言うということで、経済計画っていろいろありますけど、そういう国の計画の中に環境計画っていうのが出来たっていうのが画期的だったですね。もうひとつは環境税っていう、環境を汚すと税金が増えてしまう。だから経済的なインセンティブで環境をきれいにするようにするということで、政策手段としては全く日本ではそれまでなかった発想でして、それも入ったという点で画期的だと思います。

Q:当事者として取り組まれて、ご苦労っていうのはどんな点だったですか?

そうですね、公害防止対策っていうことと、その環境対策っていうことになるともう範囲も違いますし、政策手段も違うっていうことで、だいぶそのギクシャクした、基本法を作るときギクシャクしたと思います。まあ結果としては全体も一緒になって、また国会もみんなが賛成して法律が変わったんですけれども、例えば環境税みたいなことは、とてもその経済そのものにたがをはめるんじゃないかっていうことで、だいぶ警戒する議論はありましたですね。

Q:それは財界から?

財界だけでなくて、やはりその経済を目的とするお役所の方々は、やはりどうしても自分たちの公益追及が環境で邪魔されるんじゃないかっていう観点でご心配になったと思います。

まああの、その結果文章としては大変分かりにくい文章になってしまいましたんで、悪く言えば妥協の産物ということもできると思いますが、結果として例えば今温暖化対策税制とかそういうものも出来てきていますんで、まあ文章を大変分かりにくい文章ではありますが、世の中を変える原点になったとは思います。

霞ヶ関文学と言われていますですね。22条っていうことなんですが、第22条の2項っていうのがありまして、「国は、負荷活動を行う者に対し適正かつ公平な経済的な負担を課すことによりその者が自らその負荷活動に係る環境への負荷の低減に努めることとなるように誘導することを目的とする施策が、」ここまでが主語ですね。長いですね。その後に、その「環境の保全上の支障を防止するための有効性を期待され、国際的にも推奨されていることにかんがみ、」ここはもうそういう性格を書いてるだけでね、「その施策に関し、これに係る措置を講じた場合における環境の保全上の支障の防止に係る効果、我が国の経済に与える影響等を適切に調査し及び研究するとともに、その措置を講ずる必要がある場合には、その措置に係る施策を活用して環境の保全上の支障を防止することについて国民の理解と協力を得るように努める」というふうに書いてあって、そういうことを必ずやるというふうには言ってないんです。またそのやる時には国際的な連携にも配慮すると。日本だけが勝手にやるんじゃないよっていうようなことが書いてあるのね。ですから、もう環境税を使う時の注意事項が書いてあるということで、まあ正面からその環境税をするぞっていうふうに書いてあるわけではないんですね。でも、政策として認めたっていう点ではもう画期的だというふうに言うことができる。大変難しい文章ですがね。読んでても疲れる。

まあ大変に難しい文章です。ですが、そういう政策を認めた、位置づけた、そういうものがあるよということを言った点では画期的ですし、また実際この条文があったおかげで最近では温暖化対策税制とかそういうものも入ってきましたんで、まあ環境税が日本でも使われるようになったという点ではひとつのきっかけになった条文だと思います。

(「公害対策基本法」制定から)20年(あまり)ですね。

やはりその、10年では世の中が変わらない。まあ20年くらいで大きく変わるということじゃないかなと思います。ただその『環境基本法』が出来て、もう20年以上たちますけど、次の新しいステップがまだまだ見えてこないかな。まだその『環境基本法』が訴えたことが実現できてないというふうに言うこともできると思います。

前の『公害対策基本法』っていうのは、人間に被害がなければいいという感じですね。それに対して『環境基本法』っていうのは人間と環境との関係をどういうふうにしようかっていうことで、もう少し大きな目でそれを見るようにはなったと思います。ただ、まあ私としてはまだまだしかし人間中心主義というか、人間が生態系の中でどういうふうに生かさせてもらうかっていうことについてまでは視野に入ってないのかなっていう感じがします。次のステップはきっとそういうことになると思います。

『環境基本法』は出来まして、その後大きな節目になったのが『京都議定書』だと思います。で、『環境基本法』っていうのは言わば基本的な原則を書いてあるわけですから、それを具体的な政策に落とすまた大変さっていうのはあったというふうに思いますね。で、必ずしもその、なかなか私としてはこう、全部思う通りになったというふうには言えないと思いますが、いちばん苦労した点は、どうしても経済が環境の制約なしに発展したらこういうふうになると。それをどこまで、例えば成長率は下げてもいいのかとか、そういうふうな発想っていうのはやっぱり『京都議定書』の時でも直らなかったですね。ですから、持続可能な開発っていうような言い方は、足元にちゃんとこう、地に足が着いたっていいますか、そういうものになるためには相当やはり苦労が、『京都議定書』でも完成してませんし、まだまだあるのかなと思いました。要するに、その経済が先にあって、環境がそのそれを邪魔するものっていう発想が染み付いてるっていうとこがやはり、大変苦労の大きな元だと思います。

経済のほうが先にどうしてもあって、それをどれだけその環境で違う形に変えられるかっていうことになりますと、そういう発想の順番っていうのは日本だけでなくって他の国も似たようなとこあると思いますね。ヨーロッパの国だってたくさんCO2を削れということは言いますけれども、やはり他の国も付き合ってくれないと、ヨーロッパだけでは出来ないっていうことも当然ご主張になってたわけですので、そういう意味で経済が先にあって、環境が後から来るっていうところが、まあだんだん一緒に来るようになったにしろ、まだまだ直すべきことはあると思います。

今後日本はどう環境と向き合っていくべきかということは大変重要な問いですね。で、それは人類全体の話だと思います。で、日本人の場合幸いその環境共生意識っていいますか、その、例えば人間が死んでもどんな生物が死んでもまたその元に戻って、また生まれ変わってくるんだというような意識が強いですし、それからその山にも海にも神様がいてとか思ってる人もたくさんいるわけですので、そういう意味で言うと、自然の一部になる人類、生態系のいい一部になる人類っていうのになるための意識はあると思うので、私はその現代の技術を使って地球のその生態系のいい一部になる人類社会を作るということに日本が先べんをつけるべきではないかというふうに思います。まあそういう目で見ると、いっぱい例えばハイブリッド車だとか、その発電効率の非常に高いものだとか太陽電池ももちろん日本が一番最初に一生懸命商業化したものですね。また今相当その設置量も日本は上位に上がってくるみたいですが、まあそういうことで日本でできることはたくさんあって、私は、その地球の生態系の一部に日本人がまず率先してなってく、そういうことができるんだということを見せていくべきではないかなというふうに思います。

人間が生態系の一部になる。人間の都合のいいように生態系を使うのではなくて、所詮その地球の則といいますか、生態系の法則というのはこれはもうひっくり返せないので、もうその中できちっと生きてくということだと思いますね。別にそれはその、つらいことでも何でもないと思いますけど。

地球の一部になりましょうっていうことはその『地球環境憲章』とかね、いろんな国際的な場でも既に言われてはいるんですね。ただ、なかなかそのどうやって実行するのかが課題でありまして、それを実行してくチャンスといいますか、考えがその実行に移せるような技術があるといいますか、あるいはそういう意識があるというのは割と日本ではないかという気もするんですね。で、そのそれをしなければ、また経済自体も立ち行かないと思います。もうすごく簡単に言うとその、環境を壊してもうけを作るというのをずっと続けていくと、最後お札の山は残るんですけど、後何も壊すものがなくなっちゃうんですね。ですから、壊さない、壊さないでむしろいいものにすることでお金が出てくる、そういうビジネスに変えてかなきゃいけないと思うんですが、それはもう全く別に可能だと思いますね。ですからそれをやっぱり実現する、そういうチャレンジをしてくべきではないかと思います。省エネにしても再生可能エネルギーにしても、いろんなやるべきこと、やれることがあるというふうに思います。

プロフィール

1973年に環境庁に入庁以来、地球環境に関わる課題を担当。環境と経済の関係をとらえ直してきた。立法にたずさわった『環境基本法』が目指す「持続可能な開発」は、今も達成されていない人類の課題だという

1949年
東京に生まれる
1973年
慶應義塾大学経済学部卒業
 
環境庁(当時)入庁
1985年
北九州市の産業廃棄物指導課長
1988年
大気保全局総括
1991年
計画調査室長
1992年
リオ・デ・ジャネイロで開催された「地球サミット」に参画
 
環境基本法案の立法にたずさわる。環境基本計画や環境税を担当
1994年
1995年
地球環境部環境保全対策課長
1996年~
京都議定書」の準備と採択に参画(国際交渉)
1997年
自然保護局総括課長
1998年
会計課長
2001年
環境省発足、初代秘書課長
2002年
大臣官房審議官
2004年
環境管理局長
2005年
地球環境局長
2006年
大臣官房長
2008年
総合環境政策局長
2009年
環境事務次官
2011年
退職
 
上席参与(非常勤職員)として水俣の特別措置法づくりと被害者団体との和解を推進
 
環境と共生する経済づくりなどを担当
 
慶応義塾大学大学院及び環境情報学部教授
 
(2016年からは同大学院特任教授)

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